映画・映像を通して被爆体験の継承を目的とした映画祭の紹介


by 被爆者の声をうけつぐ映画祭

カテゴリ:映画祭の始まり( 5 )

 2007年の6月に初めて開催された被爆者の声をうけつぐ映画祭について、映画祭の呼びかけ人で運営事務局を担当した映画監督の有原誠治氏が、その成果を2008年2月に発行された「被爆者の声をうけつぐ映画祭のすすめ」(絶版)の中で次のように語っています。

被爆者の声をうけつぐ映画祭を終えて
                                  映画祭実行委員会 有原誠治
「被爆者の声をうけつぐ映画祭 被爆者は預言者、人類の宝」は、日本の代表的な原爆被爆関連映画19作品を集め、(2007年の)6月2日から9日まで、お茶の水の明治大学を会場に開催され、8日間で1500名の鑑賞者を集めて大きな成功を納めました。

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■歓迎された映画祭
「こんなに辛く悲しい作品ばかりの映画祭が成功するだろうか?」こんな心配が実行委員会の中にもありました。ところが、新聞各社の報道もあいつぎ、多くの方々から「こんな企画を待っていた」と喜ばれました。また、大学構内での開催は、若い人たちに伝えるに「ふさわしい場所」として歓迎され、市民による実行委員会と明治大学軍縮平和研究所の共催も大きな関心を呼びました。実行委員会に参加する方々は映画祭が近づくにつれて増え、ボランティアの人々がチラシの折込みから受付や司会を進んで受けて映画祭を支えてくれました。

■「続けて欲しい」との感想文
 観客の中には、遠く滋賀県や長野県からの参加者がいました。また、毎日通って下さった方もいました。感想文には、「見逃してきた作品とやっと出会えた」との声や「今後も続けて欲しい」との声が多数寄せられました。「就職活動に行き詰まり、死んでしまおうかと思い悩んでいたが、映画を見て、辛くとも生きてゆかねばと思うようになりました。ありがとうございます」との大学生の感想には胸を衝かれました。彼のためにも、この映画祭をやってよかったと思いました。

■日本が誇る映像文化
 映画祭の中で、大切なことがいくつも明らかになりました。その一つは、日本で制作された原爆被爆関連作品が、劇映画、記録映画、アニメーション作品あわせて157本以上もあることを調査によって明らかにし、作品リストを作成したこと。二つめは、原爆被爆反核平和の映画を制作し続ける国はおそらく世界で唯一で、被爆者運動と同じく世界に誇るべき平和の文化であること。三つめは、60年前に作られた作品でも、被爆の実態と被爆者の思いを今に伝える力をもっていること。四つ目は、故にこの作品群に英字幕をつけ、あるいは英語版に吹き替えて海外に紹介すれば、国際的な反核平和の運動に大きく貢献できる文化遺産であることなどです。

■文化遺産の危機的状況
 一方で、この文化資産の危機的状況も明らかになりました。一つは、原爆被爆関連作品に対する大手映画会社の消極的姿勢が、活用の障害となっていることです。今井正監督の『純愛物語』(東映)は、フイルムの原版はあっても上映できるプリントはありませんでした。黒澤明監督の『生きものの記録』(東宝)は、「黒澤監督特集でない」との理由で貸し出しを断られました。とても残念なことです。中小独立系プロダクションの作品のなかには、プロダクションの倒産や解散、あるいは製作者や著作権者の死亡などでフイルムの原版がない。制作著作者が誰で、どこにいるか判然としない。フイルムの脱色や傷みがひどく進んでいること。映写機のデジタル化が進み、16ミリ映写機の使用が困難になって、フイルムはあるが上映できない事態が進んでいること。今の事態を放置すると、あと10年ほどでまったく活用できない作品や、消えてしまう作品も出かねません。つまり、これらの文化遺産一つひとつの所在や権利状況を調査し、だれでも使用しやすい状態で保管(アーカイブ)し、次世代に引き継いで行く課題への対応が急がれることが明らかになりました。映画祭の開催は、こうした諸課題を明らかにした点でも大変大きな意義がありました。
 継続開催については、映画祭実行委員会や軍縮平和研究所のみなさんと相談したいと思います。映画祭へのご協力、ありがとうございました。(2007年6月30日 有原誠治)

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by eigasai2008 | 2018-04-30 18:24 | 映画祭の始まり

被爆者の声を受けつぐ映画祭は、2006年に準備が始まり2007年にスタートしました。
当時の資料を画像で紹介します。お読みにくい場合は、下段のテキスト文章をお読みください。
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「被爆者の声をうけつぐ映画祭~被爆者は預言者、人類の宝~」を

成功させるためのよびかけ

日本の被爆者が、「原爆被害はわたしたちを最後に」と声を上げ、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を結成してから51年を迎えました。被爆者の掲げた“核兵器廃絶”の声は、日本のみならず世界の平和運動をリードし、これまで核兵器使用の機会を阻んできました。原爆のもたらした病や貧困や差別に苦しみつつ、人間としての尊厳を貫き、核兵器の使用を拒み平和を希求する被爆者の姿は、平和を願う世界中の人々に大きな勇気と希望を与え続けてきました。

 日本においても“核武装論”が公然と論じられるようになり、核兵器の恐ろしさと被爆体験を語り継ぐ課題はますます重要性を増してきています。

 現在(2006年)、日本の被爆者は26万人。その平均年齢は73歳。被爆者たちの証言活動は、困難な時代を迎えています。しかしながら、若い世代が中心となった「被爆者の上げた声を受けつぐプロジェクト50」(0610.15集会)などの、新しい反核平和の運動が始まりました。その運動の中から、「これまで作られた原爆映画を見てみたい」「原爆関連の映画会ができないものか」との声が上がりました。

 これまで日本の映画(映像)人が作った原爆被爆関連映画は、私たちの調査によれば『原爆の子』『生きものの記録』『黒い雨』などの長編映画、『にんげんをかえせ』『広島長崎における原子爆弾の影響』『生きていてよかった』などのドキュメント、『ピカドン』『おこりじぞう』などのアニメーション、その数、150本を超えます。その多くが被爆者の貴重な証言をモチーフとした作品で、製作資金面でも完成後の上映鑑賞運動でも、被爆者を中心とした反核平和を希求する人々に支えられてきました。

 完成した作品は、被爆者に代わって世代を越え、言葉や国境を越えて被爆体験を伝承する映像作品として活用され、日本映画の中で、あるいは平和教育の中で格別な地位を占めています。日本の映画人たちが経済的に困難なジャンルであるにも関わらず、被爆者とともにこうした作品を製作し普及し続けてきたことは、被爆者の活動と共に記憶され、継承される輝きと価値を持っています。

 私たちは若い世代からの「原爆関連の映画を見たい」との提案を心から歓迎し、映画祭の開催を決意しました。映画祭の名称を「被爆者の声をうけつぐ映画祭~被爆者は預言者、人類の宝」とします。開催時期は、2007年の6月(会場は明治大学)の8日間前後。上映作品は、『原爆の子』『おこりじぞう』など、19作品となる見通しです。

 この映画祭を成功させるために、みな様のご賛同、ご協力をよろしくお願いいたします。

2007年 2月28

よびかけ人

アーサー・ビナード(詩人)

池田 眞規(日本反核法律家協会会長)

石子 順(映画評論家)

井上ひさし(作家)

大沢 豊(映画監督)

新藤 兼人(映画監督)

橘 祐典(映画監督)

田中 熙巳(日本原水爆被害者団体協議会事務局長)

土山 秀夫(元長崎大学長)

肥田舜太郎(広島・被爆医師)

船水 牧夫(牧師 東京宗教者平和の会代表)

三木 睦子(軍縮平和研究所名誉顧問)

山田 和夫(映画評論家)





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by eigasai2008 | 2018-04-30 14:48 | 映画祭の始まり
 被爆者の声をうけつぐ映画祭は、2007年の6月に始まりますが、その開催経過と映画祭の目的や役割について、映画監督でもある有原誠治氏が、同年5月のプレイベントで詳細に語っていますのでご紹介します。図は、映画祭実行委員会が2008年2月に発行した「被爆者の声をうけつぐ映画祭のすすめ」(絶版)の表紙と「開催について」有原氏が語っている頁です。
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 2006年の6月に、日本反核法律家協会会長の池田眞規弁護士より、私の元に電話がありました。「2006年の10月に日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が50周年を迎えるので記念イベントを準備しているが、原爆被爆を描いた日本映画をまとめて見てみたいと声が上がっているので、相談に乗ってもらえないか」とのことでした。
 これは大変なことだと思った私は、記録映画作家協会事務局長の野田耕造氏、翼プロダクション代表の山口逸郎氏、映画評論家の山田和夫氏、石子順氏、共同映画社代表の藤野戸護氏、独立映画センター代表の中田好美氏、日本映画復興会議の高橋栄氏の各映画人に呼びかけて、いっしょに池田先生のお話をうかがいました。

●映画の出番
 池田先生のお話は、とても大切なことでした。被爆者たちは62年前の原爆に刻まれた傷跡に苦しみ病魔と闘いながら、核兵器の廃絶を願い、原爆の影響を絶えず過小評価する日本政府を告発し、日本の反核平和の活動の第一線でいまも闘い続けている。その被爆者たちが高齢となって証言活動もままならない時代となったが、被爆の実態や被爆者の思いを伝えるには、映画や映像作品が大きな力となる。全国の原爆症認定(集団)訴訟を支える若い弁護士や、被爆者を支援する若者たちが集って「被爆者の声をうけつぐプロジェクト50」という、新しい運動体が生まれ、その若者たちからこれまで作られた原爆被爆関連映画をまとめて見たいとの声が上がっているので、実現する方法を教えて欲しいとのことでした。
 私たち(映画人)は、この期待に応えたいと思いました。

●日本映画で150本以上
 私たちはとりあえず、日本の映画人がこれまでにどんな作品をつくってきたのか、調べることからはじめました。記録映画、劇映画、アニメーションを対象に調べました。その結果、1946年の記録映画『広島長崎における原子爆弾の効果』(撮影:日本映画社)から、2005年の『NAGASAKI1945アンゼラスの鐘』(監督:有原誠治)まで、150本以上もあることが判明し、調査に当たった私たちはその数の多さに驚きました。
 それは、①原爆被爆に事実と影響を記録する作品、②被爆者やその周辺の人々の苦悩と生き方を描いた作品、③反核、反戦、平和への願いや行動を描いた作品などで、そのほとんどの作品が被爆者の記録や証言や願いにもとづき、途絶えることなくその制作と上映が(今も)続いています。
 この調査活動で、日本の映画人が被爆者に寄り添い、映像に記録し描き伝え続けてきた歩みが再確認できました。

●映画祭の役割
 そして、映画祭の目的と役割が鮮明になりました。被爆の実態と被爆者の声を伝える映画祭であると同時に、原爆被爆関連の作品をつくり続けて来た日本の映画人の歩みをうけつぐ映画祭だということです。
                             (2007年5月11日 有原誠治)

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by eigasai2008 | 2018-04-21 18:15 | 映画祭の始まり
2007年6月の第一回被爆者の声をうけつぐ映画祭を終えた映画祭実行委員会は、映画祭に寄せられた反響の大きさから報告をまとめて「被爆者の声をうけつぐ映画祭・2007年のレポート」との冊子にまとめて発行。その中で、同様の映画祭あるいは映画会の開催を「全国で」と呼びかけました。
この冊子、残念ながら絶版です。
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by eigasai2008 | 2018-04-21 14:39 | 映画祭の始まり
 私たちの映画祭の準備は、2006年に日本被団協が結成50年を迎えたことを契機に始まりました。その呼びかけ発起人となったのが、池田眞規弁護士でした。池田弁護士は当時、原爆症認定集団訴訟弁護団団長で日本反核法律家協会会長でした。2007年の5月。被爆者の声をうけつぐ映画祭開催一ヶ月前の記者会見で、池田弁護士は力強く映画祭開催への期待を語られました。
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池田眞規弁護士(1928~2016)


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by eigasai2008 | 2018-04-20 11:38 | 映画祭の始まり